プロフィール

はじめまして

幸せマインドメソッド 心理カウンセラーの 熊倉 瞳心帆(くまくらみさほ)です。

自身の子育ての経験や患者さんの立場としての経験、看護・医療の専門的知識から、悩みを解決しその人なりの幸せな人生に導くカウンセラーとして活動しています。

幸せのかたちは人それぞれ違います。

子育て 仕事の両立 夫婦関係 職場やママ友との人間関係 HSP

などでお悩みの方

ここではあなた自身の「本当の幸せ。なりたい自分」を一緒に見つけていきます。

周りの目ばかり気にしていた幼少期から学生時代

父はあまり家庭的でなく、食事も一緒にした記憶がありません。また私の出生時は男の子のみを期待していたようで、女の子であった私の出生に関しては会社に出生の連絡をしなかったほど、生まれた時から期待はずれというレッテルを貼られてしまいました。

父に直接言われたわけではないのですが、なんとなくの直感というのかそんな雰囲気を感じ取り、自己肯定感がほぼない状態でした。

母は自宅で洋裁をしていて、幼い時はそんな母の元で大人しく一人で遊んでいることが多かったです。母が集中している時は、空腹であってもただ黙って我慢していたことは覚えています。

幼いころからいい子でいなきゃ。という思考でいました。

父や父方の親戚に期待されないことを感じ取っていた私は、なにか期待されることがあると、自分のキャパシティ以上に期待に応えようと張り切って行動し、それが失敗となってしまうとものすごく自分を責めてしまう子供でした。

そんな私ですから人間関係は得意でなく、友人や先生方に対しても常に顔色を読んで行動するか、人付き合いの距離感を掴めず、一緒に行動することが苦手で孤立してしまうことが多かったです。

自分に自信がない私は母に勧められるまま習い事をし、部活動も行いました。自分に合っているか、自分がやりたいことかなんて考えることもなく、母が言うから。という理由で全て続けていたのです。

自分の進路についても、自身で将来の希望する職業を考えず、母が看護師になることを勧めてきたため、高校から看護科に進学し看護師になるために勉強しました。

そんな母から逃れたい。と、高校卒業し看護学校に進学する際、自宅からは通えない距離の学校を親に相談せず受験し、合格。進学が決まった際に母に初めて進学先を伝えました。

母は困った顔をしていましたが、進学が決まった後のため渋々と一人暮らしの許可を出してくれました。

しかし、一人暮らしと看護学校の勉強と学校で義務付けられていた、奨学金受給先の病院での勤務の生活はとてもハードな上、全く知らない土地での人付き合いは精神的にも苦労が絶えませんでした。なので、卒業後は地元の病院への就職の道を選び、再び実家での生活に戻ることになったのです。

看護師として期待に応えようと頑張っていたが・・・

看護師として働き始めましたが、相変わらず人間関係の苦手意識から悩みがあっても相談できる友人や先輩はおらず、自己肯定感も低いままで、看護師としてもスキルもないため「ダメ新人」というレッテルを貼られてのスタート。

今ではパワハラと訴えられるような罵倒を受けながら、毎日必死で仕事をし、少しづつスキルアップできるようになったとき、勤務移動となり、また「ダメダメナース」として1から勉強。3年ほど経ってやっと一人前と認められるようになりましたが、その分中堅ナースとしての責任と期待が課せられました。ここでは幼い頃からの「期待に応えるためキャパオーバーまで行動しまくる」という私が出現。その結果、ストレスから体調を崩して入院してしまうこともありました。

まさに期待され、期待はずれだとがっかりされる。の悪循環期です。

入院中に心療内科の医師と話をしたが、診察の忙しさからなのか「ゆっくり悩みを相談する」といったスタンスではありませんでした。

不安に対しては抗不安薬

不眠に対して睡眠薬

という対症療法のみでしたので、当然ストレスが緩和されたり、問題が解決することはありませんでした。また、悩みを聞いてくれないという不満のみが残されたことをよく覚えています。

そんな時こそカウンセラーに相談できていたら、どんなに心が楽になったでしょう。

当時の私はカウンセリングが気軽に利用できるといった術は知らず、また精神疾患がある患者さんが心理療法を利用するという固定観念でしかなかったので、カウンセラーに相談する発想がなかったのは無理もありません。

孤立していたワンオペ育児と仕事の両立

25歳で結婚、27歳で出産しました。

看護学校時代の奨学金返済が多額で残っており、経済的に共働きでないと家計が苦しいときですが、妊娠初期から切迫流産〜切迫早産のため、妊娠中のほとんどを入院生活で過ごしました。当然妊娠初期に勤めていたクリニックからは退職を迫られ、仕方なく退職。

出産後すぐに新しいクリニックへの就職先を探し、産後4ヶ月でクリニックでフルタイム勤務を始めました。当時住んでいた社宅付近では公立(認可)の保育園は1ヶ所しかなく、また預けられる時間や保育料を考えるとせっかく働いてもほぼ保育料に消えてしまう。と言う状況であったため、私と息子だけで実家に移り、夫と別の生活が始まりました。この時からワンオペ育児の始まりです。

週末実家に通うだけの夫は、息子の成長に追いつかないのか、ますます育児に協力できない状態になります。

幼くして託児所に預けられた息子は、感染性の疾患にかかることも多く、また小児喘息も発症したことから発熱するたびに入退院の繰り返し。

当時勤務していたクリニックではスタッフの人数が限られているという理由で休みを取ることもできません。なので、日中は母に息子の付き添いを頼み、私はフルタイムで勤務しながら病院で寝泊まりする。と言う生活。ですから心身ともに疲れ切っていました・・・。

そんな状況でも、夫が代わりに病院に泊まるなんてことはありませんでした。私も夫に泊まって欲しいとお願いしなかったのも要因かもしれません。

言いたいことが言えない・・・不満爆発の瞬間

ある日とうとう私の体が限界を迎えてしまいます。

体調を崩し入院、2回の手術、後遺症として難聴が出てしまい退職せざるを得ませんでした。

それでも夫は家事や育児を自らやることはなく、働けない状態の私に金銭的なことできつく当たる状況。

私自身そんな夫にはもう期待できなくなってしまってました。

息子が小学生になった時、知り合いの小児科クリニックの医師から時短のパート勤務でいいから。といった声をかけてもらい、時短でなら家庭との両立ができるからと転職しました。

息子の体調が悪い時は直ぐに診察してもらえるし、子育ての経験を生かしてクリニックに来るママたちからの相談に載ることができる環境はとでも恵まれているところでした。

私も自分の経験やスキルを認められる環境にとても満足して楽しく仕事をしていて、仕事とプライベートの両立が上手くいき充実した毎日を送っていました。

期待されることでそれに応えようとますます張り切って仕事に取り組んでいました。

仕事で突然の解雇宣言⁉ 絶望の中人間不信に・・・

しかし、4年程経ったある日、突然の解雇宣言それも理由が理不尽な内容(医師のプライベートな話)でした。

意味が分からず納得もいかないことで、仕事に対し自信を失い、人間不信に陥りました。

期待されていると思っていたので、裏切られたというか自分を否定されたという感情で、人生のどん底期を迎えます。

落ち込んでいる状態で、転職先を探す毎日で、この暗く長いトンネルは永遠に出口がないような不安に駆られていて、生活するお金もなくなり夫との口論も多く、悪循環が続きました。

絶望の中であったカウンセリング

そんな時、雑誌に掲載されているカウンセリングやコーチングを得意とした占い師に出会いました。

このままではいけない!!と藁をもすがる気持ちで、あった出来事、私の気持ち、これからどうするか・・・とドンドン相談していきました。

相談しながら泣いてしまうこともありました。

その人はまず私の話をじっくり聞いてくれ、その後どのような思考傾向があるのかの見立てをしてくれ、今後の考え方、気持ちの持ち方、行動についてもとても細かく教えてくれました。

私はその言葉を一つ一つ聴き洩らさないようにメモを取りながら、

やるべき行動はドンドン取り入れる

思考は固定観念でがんがらじめであったのを少しづつ解き放ち

・・・といったことを実践していったところ、どうでしょう!? あるときからスムーズにことが運ぶようになったのです。

「笑顔」と「感謝」で手に入れた家族の協力体制

仕事は思い描いていた通りの条件の良いところに再就職でき、入退院を繰り返していた息子も学校を休まずいくことができるほど元気な姿になりました。

相変わらず夫は家事や息子の学校行事、勉強のこと、友人関係などに全く興味を持たず、協力してくれることもありませんでしたが、心にゆとりができたのか、全く気にならなくなってきたのです。

仕事、育児に余裕ができ、毎日楽しく笑顔で過ごしていると、ある日突然夫がシンクに溜まっていた食器を洗ってくれたり、ゴミ捨てをしてくれるようになりました。

また、息子の学校行事の清掃活動にも親子で参加してくれるようになったのです。

これには私もびっくりしました。

正直夫に期待していなかったので、お願いもしなかったのですが、夫自らやってくれるというので、素直に感謝しました。

心にゆとりがあるということは、周りにもいい影響力を見出すのだ。ということを実感した瞬間です。

ママ友の相談にものるように

ママ友の中にも、やはりいろいろな家庭環境があり、子育てで苦労している方がいます。

その中でも、ワンオペ状態で大変!!といつも忙しく時間に追われて生活している方が多く、旦那さんに対してや仕事に対しての愚痴を聞くことが多くありました。

そんな時、私は同じ経験をしてきた仲間、また小児科経験がある看護師として、育児や子供の病気、発達や夫婦関係の相談にのるようになりました。

時にはどこで手抜きをしても大丈夫なのか、心がパンパンになる前に気持ちを吐き出す方法など私自身が楽になったコツを教えることもありました。

そんな情報をお話していると、ママ友の顔がだんだん明るくなり、

『ワンオペでも育児を楽しむ余裕が出てきた。』

と喜んでくれるようになり、私の経験や情報が良い方向に転換したことに喜びを感じるようになりました。

看護師から治験コーディネーターに転職、目の当たりにした心の病気の現実

40歳手前で、息子の成長と共に正社員といて仕事をしたい。と考えるようになり、看護師の資格を生かした職業を探して治験コーディネーターという職種に転職しました。

治験とは新たな薬を開発する中で、実際に患者さんに試して効果とか副作用について研究することです。

私はこの仕事に転職し、精神科領域の新薬開発を担当することが増えました。

精神疾患の患者さんとも多くかかわることになるのですが、うつ病パニック障害HSPなどいろいろな患者さんとお話するうちに、病院を受診するまでの長い間悩み、葛藤があったということをお聞きしました。

中には自殺未遂をし、家族や職場の方に無理やり受診するよう連れてこられた。という方もいます。

ワンオペで忙しく働いているうちに産後うつになってしまった方もいて、以前の自分と重ねてしまったこともありました。

精神科での治療はやはり薬の処方が中心です。

症状によって薬が変わるので、たくさんの種類を一度にのむ患者さんもいます。

しかし、薬によって効果があったとしても、それは一時的であり完全に良くなるという方はとても少数でしかないのが現実のようです。

長い期間悩んだり、苦しんだりするうちに感情は鈍感になり、自分自身のことがわからなくなってしまうというお話も聞きました。

患者さんは相談できる人を探している場合が多く、自分のことを話すきっかけがあれば、何時間でもお話ししてくれる方もいます。

しかし医療現場ではゆっくりと一人の患者さんに寄り添っていることはほとんどない実態を目の当たりにし、とても葛藤している自分がいることに気がつきました。

悩みがあって殻に閉じこもる前にもっと早くに相談できる人がいたら?

そもそも気軽に相談できる環境があれば?

私の周囲ではまだまだカウンセリングに対して、精神科に通院するのと同じくらい高い敷居がある環境のようです。

カウンセラーとしての第2の人生

私はアダルトチルドレン気質を完全に克服できたわけではありません。

治験コーディネーターはその名の通り、新薬研究に対し、全てコーディネートする仕事です。なので関わる人は色々な立場でとても人数は多いです。

まだ時々人との距離感を掴めないことがあります。でもそんな時はカウンセリングセッションで学んだ人間関係の距離感についてのスキルを発揮し、トラブルを避けています。

こういったスキルがあれば、みんな生き辛いと思うことかなくなるのでは?と考えるようになりました。

そこで、私自身が「気軽に相談できるカウンセラーになって、もっとカウンセリングを受けやすい環境を作ろう」と考えるようになり、カウンセリングの勉強を始めました。

心理学は本当に奥が深いです。

精神科病院で診察の様子を見ていた経験から、病名や症状が同じでも、患者さんみんな一人ひとり違います(当たり前ですが・・・)

また、「心の病」とはいえ、お薬が必ず必要なのか。病院で診察を受けるべきなのか。についても、皆さんそれぞれです。同じ人は一人もいません。

悩みは必ず解決できます。

解決するプロセスが大切です。

私はカウンセリングを通して、一人でも多くの人が悩みを解決し、幸せを実感できる日々を過ごせることを考えています。

子育て 仕事の両立 夫婦関係 職場やママ友との人間関係 HSP などのお悩みを中心にご相談にのっています。

そのほかうつ病 摂食障害 不眠などお薬を必要とされている方の対話を中心としたカウンセリングも対応しています。

悩みを相談するにはカウンセラーとの相性も重要だと思います。

まずはお試しでカウンセリングの雰囲気や私との相性をお試しください。

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